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  • SNSで炎上するいじめ問題を保健医療の視点から考える① 加害者の心・境界線・大人の責任

    SNSでいじめ問題が炎上している。

    加害者が、他人を傷つける行為の根底には、

    「自分と他人の境界線」がうまく保てていない

    ということが考えられる。

    今日は、保健医療分野や子育て支援に携わってきた者として、「自分と他人の境界線」を中心に、

    いじめ問題を紐解いていく。

    罰だけでは、いじめは解決しない

    SNSでいじめ問題が炎上すると、

    「許せない」「一生許すな」「徹底的に叩け」

    そんな言葉があふれる。

    その怒りは、決して間違っていない。

    いじめは、人の心や命を奪う行為であり、決して許されるものではない。

    ただ、断罪の言葉だけで、いじめはなくなるだろうか。

    第2のいじめ、第3のいじめが、あらゆる所で発生し、ただ、モグラ叩きをしている状態になってしまわないだろうか。

    罰は、一時的にいじめを解消しても、長い目で見た時に、世間からいじめをなくすことにはつながらない。

    いじめ加害者の心は、幸せではない

    いじめを行う子どもの心は、決して安定していない。

    そこには多くの場合、苛立ち、不安、満たされなさがある。

    暴力や言葉の攻撃は、表面上は「強さ」や「楽しさ」の表れかもしれない。

    だが、深層部分では、心の苦しさの表れであることが少なくない。

    これは、いじめを正当化する話ではない。

    いじめは決して許されない行為だ。

    ただ、背景を理解しなければ、同じことは繰り返される。

    暴力は「境界線が守れない状態」

    他人を傷つける行為の根底には、「自分と他人の境界線」がうまく保てていない状態がある。

    どこまでが自分で どこからが相手の絶対的な領域か。

    相手の心や身体は侵してはいけないものだという感覚

    これらは、生まれつき備わっているものではない。

    境界線は、幼少期に大人との関わりの中で学ぶ

    境界線は、幼少期に親や周囲の大人との関係の中で、少しずつ身についていく。

    自分は大切にされている存在だ 、同じように、他人も大切な存在だ

    この体験の積み重ねが、「相手を尊重する感覚」を育てる。

    もしその感覚を十分に感じる機会がなかった場合、悪意ではなく、知らないまま成長してしまうこともある。

    愛情は、自己肯定感と思いやりの土台になる

    幼少期の親の安定した関わりは、愛情を育てる。

    愛情は、自己肯定感、感情の豊かさ、思いやりや相手との境界線の理解の土台となる。

    決して親の愛情が足りなかったから、と親の関わりを責めている訳ではない。

    なぜなら、親も、かつては子どもだったから。

    その時、愛情をもらえたか、それは以前は子どもだった現在の親にはどうしようもないことだ。

    大切なのは、子どもへの愛情は、子どもの生涯にわたる心の土台作りになることを、理解することから始めることだ。

    知識や支援がなければ、誰にでも難しい。

    親を責めない。大人が理解し、関わり直すことが必要

    親を責めても、いじめはなくならない。

    必要なのは、幼少期からの親や周囲の大人からの愛情が、子どもの生涯にわたる心の土台を作り、豊かな人生への道標になることを理解し、子どもへの関わりを見直すことだ。

    子どもは、環境と関係性の中で変わる。

    だからこそ、大人の理解と関わりが欠かせない。

    最後に

    次のブログでは、いじめ加害者をネットで叩くだけで解決するのか、炎上と子どもの心、今後のいじめ対策としての私たち大人の責務について、専門的に考えていく。


    ※本記事は、いじめ行為を正当化するものではありません。

    被害者の苦しみを最優先で守る立場に立っています。

    同時に、再発防止と回復のためには、

    子どもの心の背景と、大人の関わりを考えることが不可欠だと考えています。

    〈プロフィール〉

    葉っぱたぬき 50歳

    保健医療分野に携わってきた専門職。

    子ども・家族・地域の健康や心の問題に長く関わってきた。

    このブログでは、SNSの炎上や社会問題を、

    感情論ではなく、専門的視点から冷静に考えることを目的としている。

    誰かを断罪するためではなく、

    大人が知るべきこと、考えるべきことを言葉にしていきたい。

    ※特定の個人・事例を批判、擁護する意図はありません。