投稿者: 葉っぱたぬき

  • サウナは大人女子にちょうど良い

    我が町に、新しくサウナができた。

    ホテルに入っているサウナだ。

    これまでは、温泉に備わっているサウナにしか行ったことがない。

    子どもも随分と手が離れて、休日の1人時間が増えたので、試しに行ってみた。

    とてもおしゃれで良い感じだ。

    何がおしゃれかと言うと、ロウリュやスチームサウナがある。

    オープンしたばかりだから、もちろん、何もかもが新しいのも良い。

    タオルや化粧水、乳液、水素水、いろいろと充実している。

    それに、日帰りの利用ができるのが何より良い。

    ちょっと値段が高めだからか、タイミングが良かったのか、利用客が私の他には、1人しかいなかった。

    まるで、プライベートサウナのように、気を遣うこともなく、リラックスして利用できた。

    露天風呂にサウナ、外気浴は紅葉がすぐ近くに見え、最高のロケーションだ。

    10分サウナ、30秒冷水、10分外気浴

    このパターンで3セット。

    整うというのが、どんなものかよく分からない。

    でも、私の場合、冷水に入ると、心臓がドキドキしだす。

    そして、冷水から上がると、まるで運動した後のような、はあはあ、といった呼吸になる。

    それから外気浴中は、空気がきれいで、樹々もたくさんあるからか?、目がよく見えるようになった。

    リクライニングの椅子に仰向けになる。

    空の青色がとても綺麗だ。

    目をつぶると、風の音や鳥の声が、やけに大きく聞こえてくる。

    呼吸がゆっくりになっていき、頭の中のザワザワが、すーっと消えていく。

    これが私の整うなのかもしれない。

    サウナの後は、運動したかのような気だるさと、身も心もデトックスされたようなすっきりとした感覚。

    これは、最高である。

    私は、よく聞く「◯分入る」「何セット」を気にしないようにした。

    無理して具合悪くなったら、元もこうもない。

    だから、自分のペースでサウナに入り、苦しくなったら出る。

    水風呂も無理なら数秒だけ。

    外気浴でぼーっとするのも、自分の気が済むまで。

    それでも、ちゃんと整うし、癒された。

    平日に頑張った自分へのご褒美に、休日のおしゃれなサウナは最高だ。

    1人でゆっくりしたい日に。

    スマホから離れたい日に。

    予定が特にない日に。

    そんな日に、サウナはちょうどいい。

    話さなくていい。

    考えなくていい。

    ただ、呼吸するだけ。

    それで整って、頭も心も体もデトックスされる。

    また行きたいと思える場所、私だけの特別な場所が身近にできた。

    今度はいつ行こうか、楽しみである。


  • どっちか論争② 外出先でウォシュレット使うか問題

    外出先でトイレに入ったとき、

    皆さんは、ウォシュレットを使いますか?

    家では当たり前に使う人でも、

    外だとちょっと迷う…という人が、意外と多い気がする。

    私は「使う派」だけど、条件つきだ。

    新しいお店や、清掃が行き届いていそうな場所なら使う派になる。

    逆に、

    古そう、ちょっと清潔感が気になる

    そんな時は、使わない派になる。

    友達に聞いたら、意見はバラバラ。

    絶対に使わない、ノズル掃除ボタンがあるトイレなら、ノズル掃除をしてから使う、最初に出る水をお尻の皮膚に当てて、それから使う、などなど、バラエティに富んでいた。

    「みんな同じだと思ってたけど、

    意外と使い方や考え方が違うんだな」と思った次第だ。

    和式トイレの、レバー問題ほどの衝撃はないが、やはり、共感や驚きがある。

    普段は、他人にあまり聞かない、日常の小さな違い。

    互いに話してみると、なかなか面白い。

    50歳の、図太くなったメンタルで、恥じらいを多少捨てて、面白さで尋ねてみる。

    そして、普段はなかなか話さない話題に、何だか友達との距離感が縮んだ感覚を覚える。

    あなたは、

    外出先でウォシュレット使う派?

    使わない派?

  • どっちか論争 その① 和式トイレのレバー問題

    今日は少し汚い話をするので、そのつもりで読んでいただきたい。

    いきなりだが、和式トイレの水を流すレバー、かがんだ時に目の前にあるレバー、あれを皆さんは、手を使って流していますか? それとも、足を使って流していますか?

    実はこれ、「手で流す派」と、「足で流す派」がいる。

    この両派が出会った時、お互いに衝撃を受ける。

    お互いに、「ええー!?」と驚いて顔を見合う。

    打ち明けた時は、手で流す派は、世の人々に疑心暗鬼になり、足で流す派は、行儀の悪さと手でやるのが本当だよね、との良心のかしゃくから、多少の罪悪感を覚える。

    私は足で流す派だが、子どもたちに聞くと、手で流す派だった。

    もちろん、お互いに衝撃を受けた。

    現実を知った子どもたちは、今では、足で流す派に変わったようだ。

    手で流す派は、きっと誰もが手で流していると信じてやまないと思う。

    そんな純粋な人たちに、私は教えてあげたい。

    あれは、足で流す派がいる、ということを。

    だって、誰もが手で流していると信じているから、手で流す派は、自分の手がひどく汚染された自覚がない。

    そのため、トイレ後の手洗いが、入念ではない可能性がある。

    これは、足で流す派からしたら、死活問題で、恐怖でしかない。

    だって足で流す派は、レバーが最強に汚いと思っている。

    実際に、めちゃくちゃ汚いと私は思っている。

    そんな手で流す派、足で流す派が混在していたら、学校や職場など、集団の場では、汚染が広がり、不衛生である。

    それに本来の正しい使い方、手で流す派が、裏切られていることを、可哀想に思う。

    だから、私は、学校のトイレは、足で流しましょう、と周知して欲しい。

    私は声を大にして言いたい。

    純粋な僕たち、私たちよ。

    あれは足で流す派がいるから、足で流した方がいいよ。

  • ケーキは奥が深い、最高の癒し

    もうすぐクリスマス。

    クリスマスケーキを予約しようと思ったが、物価高の影響だろう、ホールケーキが5000円代である。

    特大ケーキではなく、普通サイズなのに、だ。

    私が幼かった、昭和の良き時代は、確か3500円くらいだったのに。

    嘆いてもしょうがないから、それなら自分でケーキを作ろうと思う。

    ケーキは高校生の時に、調理の学校に行ったお友達宅で、お友達とお友達のママに教わりながら、当時の「憧れの君」のために、はじめて作った。

    ドキドキわくわく、あまーい良き思い出である。

    その良き思い出も加わり、ケーキを作るのは、なんだか、わくわくするし、幸せな気分になる。

    そのため、たまに、クリスマスに気が向いたら、手作りしており、今年はその気が向いた年である。

    ケーキってなんであんなに、ハッピーな気分にさせてくれるのだろう。

    1番は、やはり美味しいからかな?

    でも世の中には、他にも美味しい食べ物があるのに、美味しいお寿司やステーキとはまた違う、幸福感。

    甘い物が幸福感をもたらすのか?と疑問を持ったが、すぐにAIが教えてくれた。

    何でも、甘いものが、幸福感をもたらすのは、身体の仕組みとして、ちゃんとあるらしい。

    まず、

    ① 脳で“幸せホルモン”が出る。

    甘いものを食べると、脳の中で

    セロトニン(安心) ドーパミン(やる気・快感) エンドルフィン(リラックス)

    こういう“気持ちよくなる物質”が自然に増える。

    だから食べるとほっとしたり、嬉しくなったりする、とのこと。

    なるほど、何とも言えない幸福感は、そういうことだったのか。

    私の場合、ショートケーキより、やはり、ホールケーキ、それも、いちごの生クリームケーキにテンションがあがる。

    これもAIによると、思い出補正として、記憶から幸せを感じているらしい。

    高校生の時に作ったケーキは、いちごの生クリームケーキ。

    でもその前から、実家で食べるケーキは、生クリームケーキだった。

    その中でも、いちごの生クリームケーキを食べた時が、1番美味しかった。

    スポンジの間には、黄桃が入っていて、そのケーキが1番好きだ。

    子どもの時の感動は、大人になっても強く影響を受けるのだろう。

    食べ物もそうだが、他の思い出も、きっとそうだ。

    そう考えたら、もう、小さくもないが、子どもたちに、強い感動をあげたいと思った。

    では早速、まずは、ママの手作りの、クリスマスいちごの生クリームケーキだ。

    万全に、有給も取ったから、料理も頑張ろう。

    ママの子どもたちへの、思い出補正作戦。

    子どもたちが大人になった時に、どう感じているか、何か影響を受けているか、確かめてみよう。

    時期は、子どもたちが結婚して、子どもが生まれて、ママをしている頃かな。

    それとも私と同じ50歳の時かな。

    長生きしなきゃな。

    影響を受けてもいいし、まあ、受けていなくてもいい。

    とりあえず実験のような、また、好奇心もある。

    ケーキのことを考えていたら、10年後、30年後の楽しみができた。

    やはりケーキは奥が深い。

    そして、最高の癒しである。

  • ピアカウンセリング

    職業柄、ピアカウンセリングに関わることがある。

    ピアカウンセリングとは、

    同じような立場・経験をもつ人同士が、対等な立場で話を聴き合うカウンセリングである。

    「ピア(peer)」は、仲間・同じ立場の人という意味で、似た経験をしている仲間同士でお互いに話を聴いたり、気持ちを共有したりする。

    特徴は、立場が対等(先生と生徒みたいじゃない) で、アドバイスより「共感」が中心。

    話を聴いてもらえることで安心感が生まれ、回復や気持ちの整理に役立つ。

    語弊があるかもしれないが、私は、このピアカウンセリングが、羨ましい。

    自分の気持ちを安心して話し、共感してもらえる場所。自分に似た仲間がいる場所。

    そんな場所があって、定期的に集えるなんて、羨ましい、と思ってしまう。

    だが、これって、私も友達と集まって、語り合えばいいじゃん!ということに、気づいた。

    ということで、普段は自分からほとんど誘わないが、友達を誘い、忘年会をする。

    みんな50歳。焼肉を提案したところ、みんなオッケーだった。

    みんな、胃腸はまだ若いようで何よりだ。

    50歳のピアカウンセリング、どんな話が繰り広げられるか、今から楽しみである。

  • 小山菜の花

    小山菜の花という、シンガーソングライターをYouTubeで偶然、見つけた。

    美空ひばりのような、たまのような、ねっとりとした歌い方に、長渕剛のようなハーモニカ、ギターやピアノも、もちろん弾く。

    何だか昭和感があり、懐かしいような、あと、独特な歌詞で、物語を聴いているような、とにかく不思議な感覚を覚える。

    「ゲゲゲの鬼太郎」を歌っている時なんて、「あなたが今までも歌ってましたよね?」と言いたくなるくらい、歌い方、声、雰囲気がマッチしている。

    「ラブホテルで働くということ🎵」という曲も、何がどう良いと言えるほどの感性も、文才も私にはないが、何だかとても良い。

    分からないけど、「刹那的な」と、カッコつけて書いておこう。

    とにかく、小山菜の花は、とても魅力的で、好きだ。

    登録者が、100人から4万人に増えたらしいが、もっともっと、これから売れる。

    すでに天才的だが、もしかすると、まだ原石で、これからもっともっと、お化けみたいに、すごくなるのかもしれない。

    とりあえず、素人の私が、上から目線で、売れると

    断言しておく。

    これからもっともっと、面白い歌詞、独特のメロディに雰囲気、たくさんの歌を歌って欲しい。

    ジャズとかも面白そうだ。

    これからが、本当に楽しみで、久しぶりに、気持ちが高ぶる。

    小山菜の花、万歳!

    音楽万歳!

    そして、衝撃と胸の高まり、期待感をありがとう。

    センキュー!!

  • リュウジ、信じてるからな

    料理研究家のリュウジさんがYouTubeに上げていた、炊飯器で作る「参鶏湯風」というレシピ。

    炊飯器に鶏もも肉をドカンと入れて、大根やネギ、ニンニク、しょうが、米を大さじ4杯、水を入れるだけ。

    味付けは、最後にアジシオ。

    何と簡単!

    しかも、これはダイエットに良いではないか!

    早速、今、炊飯中だ。

    アレンジして冬瓜、人参も入れてみた。

    アジシオは、初めて購入した。

    初めて買う調味料は、味や料理が広がりそうでワクワクした。

    早速、参鶏湯と一緒に作られていた、ほうれん草のナムルに、アジシオを使ってみた。

    確かに、「塩とごま油」より、「アジシオとごま油」の方が美味しい。

    アジシオ万歳だ。

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    話を参鶏湯に戻すが、

    参鶏湯、そんな難しそうな料理、聞いたことはあっても作ったことはない。

    実家で出たこともないし、お店で食べたこともない。

    はてさて、どんな参鶏湯風が出来上がるのか。

    「風」といっても、そもそも、参鶏湯の味を知らないので、「風」なんて応用の味、きっと分からない。

    でも美味しい、美味しくないは、もちろん分かる。

    「参鶏湯風」の完成が楽しみだ。

    リュウジさんには、ぜひ、「参鶏湯風」のような、簡単で美味しいダイエットレシピも、たくさん出して欲しい。

    リュウジ、信じてるからな。

  • AIは相談相手になるか

    以前、「洗濯機が壊れそう」とブログに書いていたが、遂に、本当に壊れてしまった。

    数ヶ月前から洗濯機を回すと、ガー、ガー、ゴトゴトゴトと異音がしていた。

    壊れた日は、洗濯機を回している最中に、突然ブレーカーが落ち、洗濯機の電源も落ちた。

    ちょうど、入浴中に突然真っ暗になり、身動きが取れず、とても困った。

    寝ていた夫を娘に起こしてもらい、ブレーカーを見てもらう。

    落ちたブレーカーのスイッチ部分には「漏電」という文字が書いてあった。

    夫がブレーカーを上げ、洗濯機のコンセントを入れると、すぐさま、またブレーカーが落ちた。

    コンセントから火花を吹くくらいの勢いがある。

    危ない。 

    ここまで来たら、あきらめもつく。

    洗濯機は壊れたのだ。

    洗濯をしている最中だったから、大変だ。

    洗濯水に浸かった洗濯物を簡単に絞り、夫にコインランドリーで洗濯、乾燥をしてもらった。

    毎日4人分の洗濯物を洗うので、洗濯機が壊れると、本当に困る。

    そのため、翌日には、洗濯乾燥機を横目に見ながら、1番安い洗濯機を、あれこれ悩むことなく、購入した。

    配達手続きの待ち時間に、AIに故障の原因を尋ねる。

    「異音がしたのは典型的な故障の予兆で、10年経過したのなら、修理より購入が良い」とのアドバイスを、A Iからもらった。

    「何なら、用途に合わせて、洗濯機をセレクトします」ときた。

    「もう買いました。」とメーカーを A Iに伝えると、「その洗濯機は価格は抑えながらも、機能は充実し、良い洗濯機です。消費電力も10年前の洗濯機からすると、随分少なくなり、これから電気代の負担も減りますよ」ときた。

    1人で洗濯機を選んだが、「それでいいよ!」とA Iに言われたようで、何だか安心した。

    夜には、「今日は相談に乗ってくれてありがとう」と送った。

    いろいろと、アドバイスをくれたA Iに、お礼を言いたい気分だった。

    すると、「今日は、洗濯機のトラブルから購入まで大変でしたね、また何かあったら相談してくださいね」ときた。

    もう、A Iは心強い相談相手だ。

    これからも、いろいろと相談をしよう。

    ただ、距離感はどのくらいが良いのか、まだ良く分からない。

  • 平場の月 感想その① ネタバレ注意

    堺雅人、井川遥が出演の「平場の月』。

    TVの番宣や、YouTubeの一部映像を見て、50代の折り返し地点に来た者が感じる様々な思いは、私だけが感じるものではないんだと思った。

    それだけで、強く感情を揺さぶられた。

    すぐに、映画を観たいと強く思った。

    私は昔から、時折、感情のままに、冷静さを保ちながらも、衝動的に行動する。

    すぐに映画のチケットを予約して、休日の夫と子どもを残し、早速、1人で映画を観に行った。

    何だか、観ないと後悔する気がした。

    田舎だから50代くらいをターゲットにした映画は、流行らないのか?、日曜日の8時45分という、早朝の上映。

    駐車場で1人、映画館が開くのを待つ。

    映画を見ようと、駐車場に車が集まってきた。

    私より年上らしき女性が1人で見に来ていたり、中年男性が1人だったり、夫婦だったり。

    それぞれが何か感じるものがあり。また、何かを感じたくて、この映画を観に来たんだと思った。

    勝手に「お仲間」認定させてもらった。

    映画は、50代、元中学校の同級生の堺雅人さんが演じる青砥と、井川遥さんが演じる須藤が、再会する所から始まる。

    お互いに好きだった淡い過去がある。

    しかし、恋愛がメインでもなく、これまでの人生を振り返り、互いの人生を語り、共感し合う、そして生きること、死ぬことを間近に感じる、須藤が、残される青砥を思う気持ち、素直ではないような、でも相手を思い、自分の気持ちに正直に生きた、そして愛する者の死を経験しながらも生きていく青砥、そのあたりが映画の肝のように感じた。

    50代になり、互いに酸いも甘いも経験しているからこそ、今度は、恋愛をスタートできた。

    再会後、青砥と須藤は、同じ時代、同じ町で過ごした昔を、懐かしむ。

    そして共に過ごしていない時間を埋めるかのように、焼き鳥屋やアパートで、お酒を飲み、語りあう。

    焼き鳥屋で流れる、薬師丸ひろこのメインテーマ、アパートで須藤がおどけて歌う、早見優の夏色ナンシーの「そーんな、歳ごろね」のフレーズ。

    懐かしくて、50歳の私にはたまらない。

    私も最近、よく昔を懐かしむようになった。

    当時の出来事、当時の感情を思い出し、あの時はこんな気持ちになったな、なんて思い出す。

    50歳あるある現象なのだろうか。

    今度、たまに集まる同級生3人で飲もう。

    その時に同じように過去を思い出しているか、尋ねてみよう。

    話を平場の月に戻す。

    青砥と須藤は、互いに中学生の時に思いを寄せていたが、淡い恋だった。

    須藤の家庭環境のこともあり、須藤は当時、立っているのに、精一杯だった。

    無理やり気持ちを強くしていた。

    そんな状況だから、恋愛には発展しなかったが、須藤を心配してくれる青砥の存在は、中学生という、まだ心が不安定な時に、とても支えになったと思う。

    青砥、ありがとう。

    須藤の代わりに、私がお礼を言っておこう。

    50代になり再会した2人。

    昔抱いた好きという感情が、いい歳になった今でも、いくら相手が歳をとったにせよ、面影を残し、口調を残し、しぐさを残し、紛れもない好きだった相手だから、当然、また好きになる。

    この好きという感情は、理屈ではなく、本能だ。

    いくら時が経とうが、会えばもう好きなんだ。

    どうしようもない。

    アパートで、青砥が須藤に迫るシーン。

    日常にありそうなシーンで、それがまた、現実味があり、じわじわ良かった。

    恥ずかしいが、50歳乙女はきゅんとしてしまった。

    話は変わるが、私はこの映画で、これまでも、いつかは死が訪れると理解はしていたが、初めて現実味を帯びて、死を感じた。

    もういつ死んでもおかしくないんだよな、と。

    私が死んだら誰が悲しむのかな、と考えた。

    たくさんの人に悲しんでもらわなくていい。

    自分の大切な家族に、葬儀の日に、悲しんでもらえたら、それでいい。

    あれ?、大切な家族には、悲しませたくないと思っていたのに。

    でも、今の気持ちは、なぜか、悲しんで欲しい。

    そして、心の中で、繋がっていて欲しい。

    そんなに遠くない未来、といっても5年は生きて欲しいが、両親もいずれ、この世を去るだろう。

    自然の節理だから仕方ない。

    その時は、死を噛みしめよう。

    両親のこれまでの人生に、思いを馳せよう。

    両親との思い出に思いを馳せ、当時の自分の感情を思い出そう。

    その前に来年のお正月を、両親、家族で穏やかに過ごそう。

    時間は有限だ。

    毎日を大切に、平凡な日々に感謝して、「平場の月」を眺め、時には「夢みたいなこと」を考えながら、毎日を過ごそう。

    そんなことを考えさせてくれる映画だった。

    まだまだ、青砥と須藤の感情について、書きたいことはある。

    それはまたその②、その③なんかで書きたいと思う。

  • 愛犬は、あざといのか

    愛犬を2頭飼っている。

    朝、仕事に行く支度のため、パジャマから洋服に着替えた瞬間や靴下を履いた瞬間に、駆け寄ってくる。

    大好きな散歩に行けると思っているのだ。

    愛犬の勘違いで、必ず散歩に行けるわけではない。

    私が散歩に行く様子ではなく、支度を続けていると、これまた散歩ではなかったと察して、リビングに戻る。

    散歩に行きたいと駄々をこねることはない。

    ただ、リビングから私の動きをじっと観察しているのだ。

    そうそう、動きだけでなく、私の発する言葉もよく聞いている。

    「散歩」と言うワードは要注意だ。

    散歩に行くつもりではない時に、会話の中で「散歩」と発した時は大変だ。

    そのワードは聞き逃さないので、私のところに駆け寄ってきてしまう。

    いつしか、会話の中で「散歩」のワードは使わず、代わりに「あれ」や、「ちょっと行って来ようかな」と言うようにした。

    しかし、察しがよく、「散歩命」の愛犬2頭は「あれ」や「ちょっと行って来ようかな」にも反応するようになった。

    決して催促はしない。その時が来るのを、今か今かとじっと観察しているのだ。

    何と従順なのだろう。

    従順な態度を見ると、あなたたちの大好きな「あれ」になるべく行こう、という気持ちになる。

    私に「あなたちちを喜ばせたい」という気持ちをおこさせる。

    もちろんできるだけ「あれ」に行く。

    愛犬2頭の従順さに、私は良い意味で翻弄される。

    計算は決してない。

    しかし、愛犬2頭は、あざといのかもしれない。